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最高裁判所第三小法廷 昭和52年(す)131号 決定

主文

本件管轄移転の請求を棄却する。

理由

本件管轄移転請求の理由は、別紙のとおりである。

所論は、要するに、申立人らはいわゆる狭山事件の被告人石川一雄につき政治的、差別的な裁判をしようとする東京高等裁判所の違法行為に対し緊急やむを得ず本件行為に及んだものであつて、その行為の違法性は阻却されるべきものであるのに、第一審は本件を裁判所に対する攻撃行為であるとして報復的判決を言渡したため、申立人らは、控訴審において、さらに、申立人らの行為が社会的相当性を有していることを立証するため、証人五名、証拠物一四点及び被告人質問の証拠請求をしたところ、東京高等裁判所刑事一二部は、被告人質問を除くその余の証拠請求について、決定を留保したが、その実質は却下に等しく、このような同部の姿勢は、本件事件の特質である東京高等裁判所が被害者であるということに基因するものであり、同裁判所においては、裁判の公平を維持することができないものと考えるので、管轄の移転を請求する、というのである。

しかし、所論は、証拠の採否という訴訟手続内における審理の方法、態度を理由とするに帰するものであり、申立人に対する前記被告事件につき刑訴法一七条一項の場合に当たるものとは認められない。

なお、記録によれば、申立人らは、共謀のうえ同裁判所長官室等に侵入した事実、同裁判所内で兇器を準備して集合した事実、共謀のうえ同長官ら三名に対しそれぞれ全治一週間を要する傷害を負わせた事実により起訴され、右各事実につき第一審で有罪の言渡しを受けたことが認められるが、このようにいわば裁判所及び裁判官が被害者であるとの一事をもつて直ちに刑訴法一七条一項二号にいう「裁判の公平を維持することができない虞がある」ということはできない。

よつて、本件請求は理由がないから、これを棄却することとし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(服部高顕 天野武一 江里口清雄 高辻正己 環昌一)

管轄移転請求書

被告人 野村真一

外四名

右被告人らに対する建造物侵入等被告(控訴)事件について左記の理由により大阪高等裁判所をして審判されたく刑事訴訟法一七条二項によつて請求します。

昭和五二年五月一七日

右弁護人 伊藤龍弘

同 吉田健

同 芳永克彦

最高裁判所御中

一、本件は、狭山差別裁判糾弾を目的として裁判所を攻撃対象とした事件である。すなわち本件被告人らの行為は当時東京高等裁判所に係属していた狭山事件(石川一雄氏に対する強盗殺人等被告事件)の差別性、右裁判に集約せられた階級支配としての部落差別、司法権力が部落差別の法制的追認・固定化に果たした階級的機能に対する批判的実践であった。従って被告人らのかかる行為の目的・背景にあるものこそ本件裁判における究明さるべき真実であり、単に被告人らの個々の構成要件該当行為の存否を認定するだけでは決して本件事件総体に対する正しい認識とそれに対する法的評価はなしえないものである。とりわけ本件においては、被告、弁護側は、被告人らの行為は裁判所が狭山事件の被告人石川一雄氏に対し無罪であることを十分知りつつ政治的・差別的有罪判決を下さんとする明白な違法行為に対する全被差別部落民の正当性・道義性を負つた緊急止むをえない行為として違法性を阻却さるべきであると確信し、かつ主張するものである。被告・弁護側の右違法性阻却事由の主張に対する裁判所の判断は、必要的であり、かかる判断を適正になすためには当然違法性判断の資料となるべき前記被告人らの行為の目的・背景に対する総体的認識が不可決となるはずであつた。加えて本件はいわば裁判所を被害者とする点において特異な事件である。被告・弁護側は、第一審当初より本件事件を審理する裁判所が報復的立場から被告人らに対し、敵意ある態度を取ることのなきよう厳に公平・妥当な審理・裁判を要請していたものである。

二、然るに第一審たる東京地方裁判所刑事第九部の審理・判決は、前記の如き本件事件の本質に迫ろうとするものではなく、むしろ本件が裁判所に対する攻撃行為であつたことに対する敵意をあらわにし、報復性に満ちたものであつた。

第一審判決の不当性については、弁護人提出にかかる控訴趣意書に詳述しているが、端的にいえば、審理過程における傍聴人・被告人らに対する法廷警察権の過剰行使、裁判公開の原則を無視した公判準備期日の指定等にみられた強権的訴訟指揮の行使・判決における事実認定の曖昧さ、被告・弁護側の主張・立証に対する無理解とその結果としての検察官の求刑をうのみにした不当に重い量刑に示されているものの如くである。

結局、第一審判決は、被告、弁護側の前記主張とその立証に一切耳を傾けようとしなかつたと判断せざるを得ない。確かに第一審においても、弁護側立証としての証人調は形式的にはなしえたが、右証人調は所詮法廷での混乱を回避し、裁判所の意図する裁判の円滑を計るためのものでしかなかつた。

三、そこで、被告、弁護側は、控訴審において、第一審判決の事実及び法令適用上の誤まりをただすとともにかかる判決の基底にある裁判所の報復的審理姿勢の不当性を明らかにする一方、第一審において実質的には何らなしえなかつた前記被告人らの行為の目的、背景に関する立証を遂行し、もつて公正、妥当なる控訴審裁判所の審理、判決を期待したのであつた。かかる観点から、被告・弁護側は昭和五二年四月一二日、第二審たる東京高等裁判所刑事第一二部において、大要狭山事件の捜査、公判が部落民に対する差別によつてなされたものであること、石川氏が無罪であり、このことは同事件第二審公判前に既に明らかであつたこと、同第二審判決が事実に反し、あるいは事実に基かずに、部落民に対する差別によつてなされたこと、以上により本件被告人らの行為が社会的相当性を有していることを立証趣旨として証人五名、証拠物一四点ならびに被告人質問の各証拠調請求をなした。

四、しかるに東京高等裁判所刑事第一二部は同年五月一七日、弁護側の証拠調請求に対し、弁護側が再三にわたつて決定を出すよう強く求めたにもかかわらず、被告人質問をのぞき決定を留保した。かかる決定留保は、実質的に請求却下と等しいものである。

前記証拠調請求は、被告・弁護側の立証活動の根幹を成すものであり、上告審での事実審理の困難性に鑑れば、右証拠調請求却下は、被告、弁護側の最後の立証の機会を奪つたに等しい。前述のとおり、被告、弁護側は第一審当初より、本件事件が裁判所に対する攻撃であるという特異性から、果たして公平・妥当なる裁判が保障され得るかにつき危惧の念を抱き、かかることのなきよう終始主張してきた。ことに控訴審たる東京高等裁判所はいわば本件の被害者自身であり、加えて前記の如き第一審の報復的な審理を経ているだけに、被告・弁護側の危惧感は一層強かつた。果して被告・弁護側の危惧の念は不幸にも的中し、その主張・立証は事実上無視され、封殺された。

控訴趣意書により被告・弁護側の主張を十分知りつつ、あえてこれを無視した東京高等裁判所の審理姿勢もまたここに至つては、報復的裁判と判断せざるを得なく、被告・弁護側の右裁判所に対する信頼は全く喪失した。もはや今後右裁判所においては公平・妥当な審理は望むべくもない。

東京高等裁判所刑事第一二部のかかる姿勢は、単に合議体を構成する各裁判官の偏見によるものではなく、前記の本件事件の特質、すなわち東京高等裁判所が本件の被害者であるとの原因によるものと考えられる。従つて、本件審理の公正さは、審理を東京高等裁判所の他の部に移すことによつては回復しえないものである。

よつて、被告・弁護側はその主張・立証を全うし、もつて被告人らの防禦権を確保すべく、本請求をなすものである。

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